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JUNON '03/6

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僕の青春出会いヒストリー

彼が現れると、独特のオーラに空気がパッと華やかになる。
人なつっこい笑顔で話しかけられると、誰もが笑顔になる。
その明るくスマートな立ち居振る舞いは、天性のものなんだと思っていた。
けれど成宮くんは言う。
「本当の自分を出せるようになったのは、ごく最近」
なのだと。
袋小路で小さくなっていた少年は、どんなふうにして大きな翼を手に入れたのだろうか。
人々との出会いを軸に、20年間のヒストリーを振り返ってもらった。

もの心ついた頃から、ずっと仲良くしてる幼なじみがいるんです。
アメリカ人と日本人のハーフのケリーくん。
家が隣りだったんで、自然と仲良くなってたの。
ケリーくん、俺、弟と6コずつ離れてるんだけど、俺はお兄ちゃんが欲しかったし、ケリーくんは弟が欲しかったらしくて、ホントの兄弟みたいだったんですよ。

すごいかわいがってもらった。
ゴハンはどっちの家で食べてもいいような感じで、どこ行くにもチャリンコ2ケツして一緒に行ってた。
スケボー教えてもらったり、学校からケンカに負けて帰ってきたりすると
「ダメだよ」
って、駐車場でパンチの仕方とか教えてもらったこともある(笑)。
同級生と遊ぶよりちょっと大人っぽい気分になれて、ケリーくんと遊ぶほうが楽しかった。
エッチなマンガとかもよく貸してもらったなぁ〜(笑)。

学校はあんまり好きじゃなかったけど、小学校低学年の時、担任だった大竹先生のことは大好きだった。
産休の先生の代理で来た先生だったから、お世話になった期間は短かったけど、すごく印象に残ってる。
当時50代くらいのオバチャン先生で、いいところはすごくホメて、悪いところはちゃんと叱ってくれる、愛のある先生だった。
ヤンクミの年取ったバージョンみたいな(笑)。
その頃俺、甘えちゃってワガママになったりしてて。
スカートめくりとかいたずらもしたし(笑)。
でも最後までしっかり面倒見てくれた。
この人は自分のことを考えてくれてるっていうのが、子供ながらにわかってたもん。

でも大竹先生が辞めてしまう時に、ちゃんとお別れができなかったんですよ、悲しくて。
みんなが
「さよならー!」
って見送ってるのに、俺はひとりで廊下にいて。
それがずっと尾を引いてた。
そしたら少しして先生からハガキが来て。
俺もそれに対して返事を書いた。
その時のハガキは今でも大事に持ってる。
雨とかで文字がにじんじゃってるし、色も茶色くなってるんだけど。
大竹先生とは、中学くらいまで連絡取ってました。
すっかりご無沙汰しちゃってるけど、どうしていらっしゃるかな。
元気だといいな。

小学校の頃は、普通に友達はいたけど、親友みたいな子はできなかった。
どっちかっていうと男子より女子のほうが仲良くしやすかったかな。
俺、小学校の3、4年くらいの時に京都に引越しをして5年生の途中から東京に戻ってきたんだけど、それからいじめられっ子になっちゃって。
なんでなんだろう?どこがみんなと違うんだろう?って一生懸命考えた。
で、見た目がお坊ちゃまスタイルなのがいけないんだなと思って。
その頃俺、髪型はマッシュルームカットでラルフローレンのセーターとか着てて。
しかもビン底メガネだったの(笑)。
それで原宿行って、みんなが着てるみたいなダボダボの古着とか買ってきて着るようになって。
最初は
「なにカッコつけてんだよ?」
とか言われたけど、そっからだんだん周りともうまくいくようになった。
でもやっぱりしっくりこないっていうか、なんとなく合わせてる感じで。
いつも周りをうかがってて、ホントの子供っぽくはなかったな。
イジメとかする側でもイヤだったし。
「あいつをシメようぜ」
っていうような時は、ひとりで先に帰ってた。

で、中学に入ってコンタクトにして。
そこからどんどんシャレっ気づいていきましたね(笑)。
たまたま仲良くなったヤツがオシャレですごい人気者で。
そいつと普通に原宿とかに買い物に行くようになった。
急にちょっとファッションリーダー的なポジションになったっていうか(笑)。
で、けっこう友達ともうまくやれるようになって。
先輩にもかわいがられたし。

バカなこともいっぱいやった。
夜中にみんなで「野宿しに行こうぜ!」って電車で遠出したり。
カップラーメン持って行ったんだけど、お湯がないじゃん!て気づいて、ジャンケンで負けたヤツが民家にもらいに行ったりとかしたなぁ〜(笑)。
でも本当になんでも話せるほど深い関係ではなかったと思う。
人づきあいってやっぱり得意じゃなくて。
子供の頃から大人と接することが多かったから大人に合わせるのはうまかったけど、同年代は別。
同年代にそういうのすると引くんですよ、逆に。
だからやらなかった。

高校に行かなかったのは、行く意味を見いだせなかったし、将来の夢みたいなものもなかったから。
そういう中でクラブでDJやってるヤツとか洋服屋のプレスの人とかVJとか、ブッ飛んだ友達がいっぱいできて。
一緒にいるのがすんごいおもしろかった。
で、俺はこっち側で自分のしたいことを見つけようと思って、15歳で外に飛び出した。

疲れ顔のサラリーマンにだけはなりたくなかったし、自分にしかできないこととか特殊なことをしたかった。
そういうものを真剣に探さなきゃって思っていたぶん、すごく不安もあったし、すごく希望もあった。
でも「絶対に人間ひとつは自分にしかできないことがある」って母親から言われていて、それは信じてた。

もし母親が生きていたとしても、高校に行かないって選択をしたことを反対しなかったと思う。
母親の影響は超ありますよ。
むかしから誰かに憧れたりしたことってないんだけど、母親はいちばんのカリスマ的存在かもしれない。
ひとりでバリバリ仕事やって。
男に、なんか否定的なこと言われても、「それは違う」ってしっかり言える人だったし。
強い心を持っててカッコよかった。
何があっても笑ってた。
もし同世代だったら好きになってたと思う(笑)。
彼女は身体が弱くて朝がダメだったから、ちっちゃい頃からメシは自分で作ってた。
環境によって俺は料理を作ることを覚えたの。
掃除もできるし、ひとり暮らしする時も何も怖くなかった。
母親はそんなつもりじゃなかったかもしれないけど、いつの間にかひとりでも生きていけるように育ってた。

それからいろんなバイトをしたけど、やりたいことはなかなか見つけられなかった。
結局その日が楽しければいいような毎日が過ぎていくだけで。
すごく息詰まってた。
そんな時、働いてた店のお客さんが「こういうオーディションがあるんだけど受けてみない?」って声をかけてくれて。
それが宮本亜門さんの舞台(『滅びかけた人類、その愛の本質とは・・・』)だったんです。
それまで芸能界って華やかでいいなぁ〜と思ったことはあったけど、自分が入るなんて考えたこともなかった。
でもその話を聞いた時、”これに勝負を賭けよう”って思った。
もういっぱいいっぱいだったし、何もしないでいることに。
とにかく何かに向かって全力で走ってみたかった。
もともと舞台はたくさん見てたし、映画も大好きだったから、”演じる”ことには興味があったし。

ケイン役に決まった時は、ものすごくうれしかった。
ウオォ〜って後ろに富士山があるような感じ(笑)。
ただ演じることはホントに初めてだったから、必死でしたよ。
一生懸命”自分だったらこういうふうにやるだろうな”っていうことをやった。
亜門さんは俺にとって、いろんな意味で”スタートの人”。
初めての芝居っていうのはもちろんだけど、性格的にダメな部分を指摘されたのも初めてだった。
どっかしら人に合わせるところがあることを見抜かれて、「もっと自分にワガママになったほうが役に集中できるはずだ」と言われました。
ちょっと遠回しな言い方だったけど、自分でもわかってて変えたいと思ってる部分を突かれて。
それが自分を表現するのにジャマになるってことを知ったんですよ。
シンプルな状態でいるのはすごく難しいけど、役者をやっていくうえでいちばん大切だってことがわかり始めた。
だけど、ぜんぜん行動に起こせずにいて。

そのあと『金田一少年の事件簿』にゲストで出て、芝居的にも最初の壁にぶち当たった。
舞台出身だから、ドラマなのに舞台っぽくなっちゃった部分があって。
それがすごくイヤだった。
何が原因なんだろう、しゃべり方なのかな?と思って。
声をテープに録って聴いて、初めて自分から聞こえてる声と人が聞いてる声にギャップがあることに気づいたの。
それで自分で納得できる声を探したり、自然な振り向き方とかも研究したりした。
そういうのをビデオセットして、ひとりでやって。
そのテープは今も持ってるけど、絶対誰にも見せらんない(笑)。

このあと舞台の『ハムレット』で蜷川(幸雄)さんと出会って。
超衝撃的だった。
俺、もともと蜷川さんのファンで、『マクベス』とか『身毒丸』とか見てたんだけど、そのたびにオシッコちびるくらい感動して(笑)。
次に『ハムレット』をやると聞いて、自分から「出してください」って言いに行ったんです。
蜷川さんは思ったとおりの真剣な人で。
で、会ってすぐに「俺にネコかぶるな」って言われた。
「俺はお前のことがわかってるぞ。お前がちゃんと素直になんないと演出方法を間違えるから、頼むから素直になってくれ」ってことを延々言われて。
この人スゴイなって。
やっぱりそこがいけないんだってことを改めて思い知らされた。
それでなるべく自分に素直になろうと一生懸命がんばったけど、やっぱしうまくできなくて。
そういう自分が腹立たしかった。
俺、すごく器用そうに見られるんだけど、ホントに不器用で・・・。

で、『ごくせん』が決まった時、「今回こそ!」って思った。
同年代の共演者がいっぱいいるし、きっと気を使っちゃいそうになるだろうけど、絶対やめようって最初から決めた。
実際、監督とか横にいてなんか話しかけたい雰囲気があるなと思っても、話すことがなければ話さなかったし。
共演者にも、気を使って自分から話しかけたりってことはしなかった。
そういう極端なやり方だったけど、徹底してやった。
きっと少しずつバランスをとっていけるはずだって、自分のことを信じて。
超勇気が必要でしたよ。
でも、今回やんないとホントにダメだと思ったから。
そうやっていろんな人の後押しがあって、ちょっとずつ”自分”を出すことができるようになっていった。

今はちょうどよく自分を出せてると思う。
超自分にワガママになった時期から少しずつバランスをとってきて、言うべきことは言うし、ヘンに人に合わせたりもしなくなった。
”自分”を出すってことをやっていく中で、ホントの自分を知ってもらっていれば、多少テンパって感じが悪かったとしても「今はこういう時期だから」っていうふうに理解してもらえることがわかった。
人のことをそういう意味で信じていいんだってことも。
前までは、どっか人を信じきれないところがあったんだと思う。

もう人にこういうふうに思われたいって意識が、自分の中でまったくなくなった。
そりゃあマイナスに思われないほうがいいけど、でもそれが大して自分の中に影響を与えなくなった。
人とのつきあい方が、最近やっとわかり始めた感じ。

こうやって今まで出会ってきた人たちを振り返ってみると、自分の考え方が変わると周りも変わってくるんだなってホント思う。
自分がすごく欲しいと願うと、実際にそういう人が現れるし。
自分はどうしたいのか、どうしたくないのか、見つかるまでしっかり考えることがいちばん大事。
そうしないと何も変わらない。

中学校の頃、今いる場所から飛び出したいという気持ちだけで「アメリカに行きたい」ってすごく思ってて。
母親に話したら、「今の状況でアメリカに行っても何も変わんないよ」って言われたんですよ。
「自分が変わらないとダメなんだよ」って。
そん時はぜんぜん意味がわかんなかったけど、今は超わかる。

もうひとつ、ちゃんと考えて一生懸命やってると、その姿を見て一生懸命支えてくれる人ができるってこともわかった。
最近、初めて”親友”ができて。
同年代なんだけど、最初に会った時は仲良くならなかったんですよ。
でも、きっかけがあって何人かで遊びに行ったら「あ、合うな」ってわかった。
自分にすげぇ素直で、それがいいなと思って。
その頃の自分が欲しい姿がそこにあったっていうのも大きかったかもしれない。
すごい興味がわいて。
もっと知りたいなと思った。
で、向こうもすごくおもしろかったらしくて、そっからよく遊ぶようになって。
知ってみたら自分と共通項が多かった。
形が似てたんですよ。
物事の取り組み方とか。
それがすごくうれしかった。
好きなものとかも一緒で。
服とか食べ物にしても、キレイなものとかおいしいものが大好きで。
かなり影響を受け合ってますね。
理想だった友達関係にいちばん近い。

そいつとは疲れてても会えるんですよ。
疲れてる時におもしろくしなきゃって思わなくていい。
普通にワイワイ遊んでも楽しいし、深い話もちゃんとできる。
彼も仕事をしてるから、親友でもあるし、ライバルでもある。
すごい大切な存在。
これからも一生友達だろうなって思う。

本当の自分を出しても大丈夫なんだっていう”受け入れてもらえた感”がすごくうれしい。
自分に素直になることができたことで、ひとつ自信になったんですよ。
仕事の面でも、みんなに自分のことを知ってもらえるようになってきたって実感があるし。
安心しきってはないし、安心することはこの先もずっとないと思うけど、やっと抑圧されてない自分を出せるようになったっていうか。
余計な皮膚がはがれて、丸ごとの自分になれた。
それがすごく気持ちいいんです。
そして別ページには『2003年を代表する旬な男の顔は?』というランキングで
見事ナリは1位に輝いてます。
2位は坂口憲二さんの125票ですが、なんとナリはその約3倍の377票でした。
成宮寛貴が語る「自分の顔」について

自分の顔って普通に見すぎてて、よくわかんなくなってるかな。
「役によってぜんぜん顔が違う」って言われることは結構あって、それは役者としてすごくうれしい。
意識して変化をつけてるのは、目と笑顔の配分くらいなんだけど。
あと、俺はいつも役を色で表現するようにしていて。
自分がその役について感じる色が何色かあって、それを使い分けるんです。
ちなみに『高校教師』の悠次は紫、黒、赤。
毛穴からその色の雰囲気を出すように意識してると、自然とそういう顔になっていくみたい。
ただ、いつも困るのがひとつの役をギュッとやると、筋肉までそうなっちゃう。
『ごくせん』の野田筋とか、悠次筋ができちゃうんです(笑)。
現場が終わってもなかなか戻らないから、マッサージしてほぐすようにしてる。

自分の顔は、自分だけのものだから好きですよ。
でもイヤなところもいっぱいある。
むくみやすいとか。
みんなが「好き」って言ってくれる口は、自分でもキライじゃないよ。
手入れは特にしないけど、ガサガサなのは好きじゃないから、リップクリームはわりと塗ってるかな。

自分らしいと思う顔は真顔だけど、みんなに見せたいのはスマイル!
笑顔って見てて気持ちいいし。
笑顔には人を元気にする力もあるでしょ?
だから「成宮くんの笑顔を見ると元気になる」って声はうれしい。
逆に泣き顔は絶対見せたくない。
今までほとんど見せたことないと思う。
『ウルルン〜』の最後でちょっとだけ泣いちゃったけど、あんまり映ってなくてよかった(笑)。

顔って造りより、表情から出てくる空気のほうが大きい気がする。
俺の理想は、年をとればとるほど大人の男の色気が出てくるような雰囲気のある顔。
顔にはその人の生き方がすごく表れると思うんですよ。
生き方次第でよくも悪くも変わる。
いい人間関係を築いて一生懸命生きていれば、いい顔になっていけるんじゃないかな。
他のランキングにもいくつかナリがランクインしてます。
見つめられたら即ノックアウトな目ヂカラ男は?・・・3位94票
笑うとこぼれる白い歯がステキな男は?・・・5位49票
おもわず触れたくなるプルプル唇の男は?・・・2位179票
永久保存したい究極の美顔は?・・・2位167票
ワルな雰囲気漂うカッコいい不良顔の男は?・・・3位103票
女の子大好きそうなエッチっぽい顔の男は?・・・4位33票

動物顔ランキングでは・・・
ハ虫類顔ナンバー1の男は?・・・5位6票
ネコ顔ナンバー1の男は?・・・1位97票
―JUNON取材秘話―

早朝集合だった今回の取材。
約束の場所でナリの到着を待つJUNON。が、来ない。
約束の時間に来ない・・・。
だったら先に軽食の買い出しに行こうとエレベーターに。
1階に到着して扉が開くとそこに美少年が!
しかも後ずさりしながら妖精かと思うような小声で、「ご、ごめんなさい。二度寝しちゃった・・・」。
そう、その美少年はナリなのでした!
いやいや、早朝取材を頼んだJUNONが悪い!
それにしても、あのナリナリかわいかったな〜。


発売日:2003/5/23、 REPO2007/12/9
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